健康診断の際、「なぜ毎回2、3本も採血するのか? 1本ではダメなのか?」と不思議に思ったことはないだろうか。
その理由は、血液検査が数十種類もの異なる成分(血球の数や、健康指標となる特定のタンパク質の濃度など)を測定するものだからだ。これらの成分を検出するには、測定前にそれぞれ異なる処理を施し、別々の装置にかける必要がある。
だが、もし「たった一滴の血ですべての検査項目を測定できる装置」を開発したと称する企業が現れたら、あなたはどう反応するだろうか。
科学技術によるイノベーションの可能性を信じている現代人にとって、それは決して荒唐無稽な夢物語には聞こえない。そして実際に、それを成し遂げたと宣言した企業が存在した。それが本書の主役、セラノス(Theranos)社とその創業者エリザベス・ホームズの物語である。
セラノスは最終的に、紛れもない「稀代の詐欺」であったことが証明され、ホームズもまた、監獄行きという結末を免れることはできなかった。しかし、なぜ彼女は長年、従業員や投資家、規制当局、そして最後には消費者までも欺き、世間を煙に巻くことができたのか。最大の要因は「自己欺瞞」にあると私は考える。ホームズは、自分自身さえも騙し込んでいたのだ。『嘘の哲学』において著者が引用した、ニーチェの次のような言葉がある。
あらゆる大詐欺師には、注目すべき一つの特質がある。それこそが彼らの力の源泉なのだ。実際の欺瞞行為において、あらゆる準備や魅惑的な声、表情、動作、そしてペテンを成立させるための演出以上に重要なのは、詐欺師が『自分自身を信じている』ということだ。だからこそ、詐欺師は立て板に水のごとく語り、周囲の人々を心底納得させることができるのである。
医療機器業界の従事者として、本書のもう一つの見どころは、世界で最も厳格な医薬品規制機関であるFDAを、セラノスがいかにして潜り抜けたかという点だ。端的に言えば、セラノスが販売していたのはFDAの許認可が必要な「医療機器」ではなく、規制の制約が少ない「ラボラトリー検査サービス(LDT)」であった。この事実は、近年のFDAがなぜLDTに関連する法規制の整備と強化に執念を燃やしているのかを、図らずも裏付けている。
時の流れとともに、セラノスは過去の遺物となった。しかし現在、米国では新たな(そして合法的な)医療モデルが発展している。消費者が自宅で微量採血管を用いて検体を採取し、それを検査機関に郵送する。専門医は結果に基づいてオンラインで診断や処方を行い、薬は自宅に届く。いつの日か、「一滴の血による検査」という素晴らしいビジョンも現実のものとなるかもしれない。まさにあの有名な広告コピーが示す通り、科学技術の革新があれば「不可能なんてありえない」なのだ。
