旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
—— 松尾芭蕉
人生は旅の如し。「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。」これは、唐の詩人李白が733年に書き残した人生の深い悟りである。そして千年の時を越え、松尾芭蕉は『おくのほそ道』の開篇において、まるでこの言葉に応えるかのようにこう綴った。
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
古の文人や志士たちは、ある者は朝廷の高きに居て国や民を憂い、またある者は野に下って心の中の桃源郷を描いたが、松尾芭蕉という人は、ひたすら旅路の中で人生を見つめ、悟りを開いた。この俳聖の集大成とも言える珠玉の紀行文から、私が特に心惹かれるいくつかの章を皆さまと分かち合いたい。
行く春や鳥啼き魚の目は涙
古人にとって、遠くへ旅立つということは決して容易なことではなかった。それゆえ、出発の際、普段は見慣れたはずの何気ない事物や景色でさえも、旅人の心には格別の哀愁となって押し寄せるのである。しかし、別れの悲しみは旅の始まりだけにあるのではない。旅の後半、それまでずっと芭蕉の足跡を支え、同行してきた門人の曾良が、病のために師と別れなければならなくなった。これから始まる、たった一人の孤独な旅を前に、芭蕉は万感の思いを込めてこう記している。
行く者の悲しみ、残る者の憾み、隻鳧の別れて雲に迷ふがごとし。
旅の途中には、当然ながら様々な出会いや見聞がある。全巻の中で私が最も愛する一幕は、那須野(栃木県)を通りかかった時のことだ。道に迷った芭蕉は、その土地の素朴な農夫に出会う。農夫は農作業で忙しく自ら案内することはできなかったが、慷慨にも相棒の老馬を貸して道導としてくれた。そして、次のような野趣にあふれ、読む者の心をじんわりと温める情景が広がるのである。
少さき者ふたり、馬の跡慕ひて走る。ひとりは小姫にて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名なるべし(曾良)
やがて人里に至れば、価を鞍壺に結びつけて馬を返しぬ。
「人閑かにして桂花落ち、夜静かにして春山空し。」どの時代にも、俗世を超越した隠士がいるものである。須賀川(福島県)の地で、芭蕉一行は俳人の栗斎を訪ねた。栗斎は俗世の喧騒から離れ、一本の大きな栗の木がある草庵に暮らす隠士であった。芭蕉は彼に、このような佳句を贈っている。
世の人の見付ぬ花や軒の栗
飯塚温泉(福島県)に至った時、芭蕉は激しい腹痛に見舞われた。さらに宿泊先では雨漏りがし、蚊に刺されるという「踏んだり蹴ったり」の苦痛を味わう。前途の多難さを思い、心にはどうしても不安がよぎる。心身ともに疲れ果てたはずの芭蕉であったが、彼は自らを奮い立たせるようにこう励ますのだ。
羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、これ天の命なりと、気力いささかとり直し、道縦横に踏んで、伊達の大木戸を越す。
出雲崎(新潟県)の海岸に立ち、かつて流刑の地であった遥か洋上の佐渡島を望んだとき、芭蕉は読む者の魂を揺さぶるような、この壮大な絶句を詠んだ。
荒海や佐渡に横たふ天の河
また、市振(新潟県)の宿では、たまたま二人の遊女と同宿することになる。青春を色街に捧げた遊女と、生涯をかけて世界の果てを歩む俳人。交わるはずのない二つの世界に生きる者同士であるが、冥冥のうちにどこか通じ合うものがあったのだろう。芭蕉はこのような感慨を込めて句を残した。
一つ家に遊女も寝たり萩と月
まさに白居易が『琵琶行』で詠んだ、「同じく是れ天涯の落ちぶれる人、相い逢うて必ずしも曾て相い識るを求めんや」の境地そのものではないか。
最後に、角川文庫版の『おくのほそ道』に賛辞を降りたい。この一冊は実に見事な構成になっている。「原文」だけでなく、丁寧な「現代語訳」、「解説」、「コラム」が網羅されており、カドカワならではの編集力が光る。文字の美しさを味わえるだけでなく、当時の歴史、風土、人文的背景を理解する上で非常に役立つため、心からお薦めしたい一冊である。
