かつて私は、「ノスタルジー」という言葉に対して、少なからず否定的な態度をとっていた。若者が「武勇伝」を熱く語るのを聞くたびに、心の中で「体より先に心が老いてしまったのか」と、一種の哀れみさえ感じていた。人間は前を向いて生きるべきではないのか? これからの人生の意味は、過去の栄光を回想するだけにあるというのか? 社会全体が懐古的な雰囲気に浸り始めたのを見た時、私は「この社会のどこかがおかしくなっているに違いない」と覚えていた。
しかし、本書はノスタルジーに対する私の偏見を打ち砕き、そのポジティブな役割について全く新しい認識を与えてくれた。
ノスタルジーが持つ積極的な作用をいくつか見てみよう。
——アイデンティティが分断されるような困難に直面した時、ノスタルジーは「自分という存在の連続感」を高めてくれる。
——防衛本能を和らげ、他人の批判や助言を受け入れやすくし、適度な自尊心を育む。
——集団での懐古は、帰属意識を高めるだけでなく、行動の動機を刺激し、コミュニティを繁栄させる。
——若返りの薬ではないが、心を若く保つ助けとなる。
——未来の人生における意味を高めるだけでなく、過去の生命の意味をも修復してくれる。
——ネットが政治的な対立や混乱を助長する現代において、ノスタルジーは安定を保つ礎となる。
最後に、著者は私たちにこう語りかける。
人間の本性は進歩志向である。保守的な側面もあるが、あらゆる面でまず安定してこそ、力強く発展できるのだ。そうでなければ、混沌とした世界の中で自分を見失ってしまう。忘れないでほしい。人間は未来志向の存在であることを。大切な思い出の中からインスピレーションと指針を見出すことで、より良い明日を築くことができる。ノスタルジーは人間性の弱さではなく、否定しがたい前向きな力なのだ。
カテゴリー: 哲学
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過去から未来へ:ノスタルジーがいかに人生をより有意義にするか
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ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義
哲学することは、死に方を学ぶことである。
——モンテーニュ『随筆集』
生命とは何か。
ウラジーミル・ナボコフは人間の存在について、「生とは、二つの永遠の暗闇に挟まれた、ほんのわずかな光の裂け目にすぎない」という、どこか荒涼とした基調を定めた。この光の裂け目があまりに細く小さいため、私たちが目を開き、世界の輪郭をようやく捉えようとした時には、もう黄昏の足音が聞こえてくる。
本書は、ある真実を私たちに突きつける。人類文明という壮大な叙事詩の本質は、結局のところ、その二つの「永遠の暗闇」の間で、いかにしてその光を長く留めるかという足掻きなのだ。不老長寿を渇望し、死からの蘇りを願い、霊魂の不滅を希求する。あるいは、すべてが塵に帰した後でも、「遺産」という名の余光を少しでも残したいと願う。
文明とは、確かに「恐怖」の産物である。死を恐れるがゆえに、ピラミッドを築き、キャンバスに永遠の微笑みを残し、意識をクラウドに移植しようと試みる。死は厳格な監督官のように、瞬く間に過ぎ去る時間の中から「永遠」を絞り出すよう、人類を鞭打つ。しかし、著者は終章で語りかける。テクノロジーや名声によって死から逃れようとする努力は、往々にして「不死」を追い求める過程で「生活」を失わせてしまうのだ。人生の意味とは、レオナルド・ダ・ヴィンチが遺したあの優しい告白の通りなのかもしれない。「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。」
親愛なる読者のあなたは、著者の結論に満足できないかもしれない。「それだけ? これでは私の不安は解消されないよ!」と。ならば、視点を変えて、『中年:哲学的ガイド』を覗いてみることにしよう。 -

成語の中に隠された心理学
恥ずかしながら、私が心理学の本を読み始めた理由は、「心理学を読んでいなかったから」だ。 ある時、心理学に興味がある人にどんな本を薦めるべきか聞かれたことがある。懸命に記憶を辿ってみたが、いわゆる「まともな」心理学の本を一冊も読んだことがなく、薦められるような知識が何一つないことに気づいたのだ。それ以来、私は意識的に心理学の著作に触れるようになった。
心理学には、どんな役に立つのだろうか。
精神分析が誕生したばかりの頃、フロイトやユングといった人々は、学界では冷遇されていた。なぜなら、心理学は「科学的」ではなかったからだ。言い換えれば、心理学は正誤を証明することができない学問だったのである。もしフロイトが私の鼻先を指差して、「君の悩みの根源は、心の奥底にあるエディプス・コンプレックスだ」と言ったとする。私が激怒して「出鱈目だ!」と反論したとしても、彼はただ笑って「その怒りこそが最高の証拠だ」と言うだろう。これでは反論のしようがない。
しかし、本書の著者である楊先生はこう記している。
治療理論や人格理論において最も重要な『根本』は、それが人を救えるか、人を健康にできるかにある。もし答えが『イエス』なら、科学的に検証可能であることは、いわば『錦上添花』であり、検証できなくても大きな問題ではない。この世界には明確な筋道がある面と、曖昧で混沌とした面の両方が存在する。したがって、私たちは次のような信念を持つべきだ。経験によって証明された真理と、科学によって証明された真理は同等の価値を持ち、どちらも私たちの健やかな成長を促す最も重要な資源である。
今日、心理学が「有用な」学問である価値を疑う者はいない。心理学は多くの専門分野に分かれ、私たちの生活のあらゆる側面に浸透している。また、楊先生の鋭いまとめを補足するものとして、リチャード・ファインマン教授の次のような言葉を引用したい。
ある事柄が科学ではないとしても、それが必ずしも悪いことではないという点を、最初から明確にしておかなければならない。例えば、愛は科学ではない。だから、あることが科学ではないと言われても、そこに間違いがあるわけではなく、単にそれは科学ではないというだけのことなのだ。
もし今、心理学に興味がある初心者にどんな本が適しているかと聞かれたら、私は真っ先にこの『成語の中に隠された心理学』を薦めるだろう。本書は心理学用語の解説をテーマにしており、各章で一つの成語から心理学の概念を導き出し、深く掘り下げていく。また、全編にわたって人生の哲理と名言に溢れており、人としての在り方を教えてくれる。
特に私が感銘を受けたのは、防衛機制に関する次の一節だ。
防衛機制は潜在意識のレベルで起こるものだが、それを理解することは、潜在意識下にある心理活動を意識のレベルへと引き上げる助けとなる。これは自分自身をより深く知るだけでなく、自分の『第二反応』に追いつくことを可能にする。自己覚知を促すだけでなく、不安を感じさせる問題を理性的に解決することにも役立つのだ。
まさに私にとって心理学とは、自分を再発見させてくれる学問である。自分を知れば知るほど、より良い自分になれるのだ。 -

哲学とは何か
哲学とは何か。
それは、知恵(sophy)への愛(philo)である。
哲学は役に立つのか。 私自身の話をすれば、それは最初、死への恐怖という問いから始まった。しかし、探求を深めるにつれ、哲学は「より良く生きるため」の存在の在り方そのものへと変わっていった。 本書は、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットによる一連の講演「哲学とは何か」をまとめた一冊だ。「哲学の本質」、「なぜ私たちは哲学を学ぶのか」、そして「懐疑と存在」といったテーマについて、著者は実に深い洞察を与えてくれる。特にデカルト思想についての精緻な解説を読んでいた時、私はまるで雷に打たれたように、思わず声を上げてしまった。というのも、私が学生だった頃、いわゆる正統派の哲学とはマルクス主義唯物論であり、唯心論などはすべて異端と見なされていたからだ。
では、哲学は私にどのような知恵を与えてくれたのか。
申し訳ないが、私にその答えを出すことはできない。ヘルマン・ヘッセが言ったように、「知識は伝えることができても、知恵は伝えることができない」からだ。ガセットもまた、同じ見解を示している。
困難な道の終着点で見出されるはずの結果を、旅の始まりにいきなり共有したところで、何が得られるというのか。なぜ私たちは、ゴール地点から哲学を始めなければならないのか。
もしあなたが哲学という名の旅に踏み出してみたいと思うなら、本書は格好の出発点になるだろう。もし難解だと感じる部分があれば、本棚の隅にある『不死の講義』を手に取ってみるのもいいかもしれない。