本書は、歴史的観点からウクライナ・ロシア両国間の淵源を論述し、ソ連崩壊後の一連の歴史的事件を通じて、ロシア・ウクライナ戦争の根底にある原因を分析、さらにはそれがグローバル秩序にもたらす深層的な影響について考察している。
カテゴリー: 历史
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日中関係史 1500年の交流から読むアジアの未来
私の幼少期の記憶には、日本に関する二つの断片がある。
母方の祖父の部屋には大きな書棚があり、古今中外の名著がぎっしりと詰まっていた。その書棚のガラス扉には一枚の大きな紅い布が掛けられており、そこには力強い筆致で「中日友好」の四文字が書かれていた。幼かった私には、その四文字に込められた感情の重みなど、知る由もなかった。
私の叔母は若い頃に日本へ留学し、一人の日本人男性と出会った。後の私の伯父である。叔母が初めて伯父を連れて中国に帰省し、親族の集まりに参加したとき、私は中国語を話せないこの日本人を、ただ好奇の目で見つめていた。それから長い歳月が流れ、私は東京の病院で叔母に付き添い、伯父の最期を看取ることとなった。その時、私は悟ったのだ。家族の絆というものは、とうの昔に国境を越えていたのだと。
中日両国の関係を一言で表すなら、私は「愛憎と恩讐」と呼ぶだろう。本書はまさに、両国の関係に着目した著作であり、特に隋唐時代、清末民初、そして改革開放という、両国が互いに深く学び合った三つの歴史的時期に焦点を当てている。中日両民族の間に横たわる複雑な感情を知りたいと願う人々、あるいは片方の国の歴史しか知らずにもう片方の視点も得たいと願う人々にとって、これほど公正で客観的な作品は他にない。著者であるエズラ・ヴォーゲル教授は、本書の中でこう記している。
相手の国を嫌う多くの中国人や日本人が、西洋人の書いた中日関係の本に興味を示さないことは承知している。どれほど正確に書いたところで徒労に終わるかもしれない。しかし、本書は両国の人々の中で、私と同じように中日が互いに理解し合うことを願う人々のために書いたものである。両国に読者を持つ傍観者として、これは私の責任であると感じている。
本書から得た最大の収穫は、既知の歴史に対する新たな知識ではなく、それがもたらしてくれた「正のエネルギー」とも言うべき感情にある。本書はヴォーゲル教授の遺作となった。一生を捧げて中国と日本を研究し続けた教授が、人生の最後に託した想いに触れ、私はただ「感無量」の一言に尽きる。
中国語版の訳者序文には、非常に示唆に富む一節がある。
ある西洋の学者が、近年の日中間の葛藤を『ごめんなさい』と『ありがとう』の二言で象徴的に表現した。中国は常に日本を責める。『ごめんなさい』という言葉が少なすぎ、誠実さが足りないと。一方で日本側は、改革開放以来、多額の経済援助によって中国の経済発展を支えてきた自負があり、中国側から十分な感謝の意、すなわち『ありがとう』の言葉がないことに不満を抱いている。
実は、この構図は韓日関係にも当てはまる。かつて、ある日本の人気政治家がテレビ番組で、「植民地時代に日本は韓国に『進歩』をもたらしたのだから、韓国は日本にもっと感謝すべきだ」と発言するのを目にしたことがある。しかし、ひとたび民間レベルに目を向ければ、私の周りで国同士のいざこざのために顔を真っ赤にして争っている人など見たことがない。それよりも、職場の中国人と日本人の同僚がカラオケで『女人花』を合唱し、笑い合っているような光景こそが、私の日常にある。
ヘルマン・ヘッセはかつてこう言った。「私は愛国者でありたい。だがその前に、私は『人間』である。もし両立できないのであれば、私は常に『人間』であることを選ぶ」と。私の祖父たちも旧革命家であり党員であったが、彼らの口から憎しみの言葉を聞いたことは一度もなかった。ヴォーゲル教授と同じように、平和を慈しみ、友情が永遠に続くことを願うことこそが、彼ら世代の最も素朴な情熱だった。
幼い日の記憶にあるあの紅い布。歴史を遡れば、私たちの先人もまた「一衣帯水」の名を冠した画巻に、その筆を振るってきたではないか。私は、私たち世代、そして後に続く世代が、「人間」としての美しい徳を継承していくことを願ってやまない。おそらく、それこそが本書が私たちに伝えようとしているメッセージなのだろう。


